月神さんのブログ(155)
月神(35)
和歌山・不思議系

ミスティック・リバー

20/8/1 22:17
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ここまで鑑賞者に沈思黙考を強いる映画を好き嫌いだけで切り捨ててしまうのはどうにももったいない。
ぐるぐるぐるぐる…あれはなんだったんだろう、と頭の中をこの作品で起こったことや登場人物が旋回していく余韻はそこらの作品で得られるものではない。

この作品に私が見たのは、主人公3人に幼少期に起きたことと、その後の生活を含めた人間の因果、あるいは業とでも言えるような心の深い部分にコミットしていくシークエンスが、まるでただ何かのはずみで起きてしまったと言えるような銃による悲劇を中心に回っていき、最終的に各人に言いようのない無残な傷を残していくラストに向かう構造の恐ろしさというか、悲劇性のようなものだった。

暴力というもの、銃というものは日々人間が培ってきたような何物をも ”パンッ” これだけの瞬間で粉砕してしまう。

ケイティーがまず殺され、その復讐に燃えるジミーはデイブを…

暴力が人間に継ぎようのない断絶を与えてしまうこと。

じわじわと犯人に迫り行く警察の捜査を、ゴロツキを使って短絡的な理由から犯人を断定し、私刑に及んでしまうジミーの暴力がフイにしてしまう。

あるいは過去への葛藤から起きるデイブの犯した殺人と、無為に起きてしまったケイティーの死。
この辺りの対比もまた遣る瀬無い気持ちを駆り立てる見事な映画装置だと思う。

暴力は一瞬のうちに加害者も被害者も、遠いところへ連れて行ってしまった。
そしてそこから元の場所に戻り得ることは2度と無い。

唯一刑事のショーンは行ってしまった彼らをその道の真ん中から見つめている。

もう一つ、本当にこの作品が恐ろしく思えたのは、ラストのデイヴの妻の顔。そして子供のうなだれた姿。
この弱き家族だけは、自分たちをつなぎ、守っていた愛を、本当に失ったかもしれないと感じた。
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