まだ幼稚園の頃です、同じクラスの男の子が何日も来なくなりました。先生によると「もう会えないの、大きな病気をして亡くなったから」と。
確か、ご飯が食べられなくなる病気だと…それ以上は分からない。でも特に仲がよかったわけでもない子の訃報に、自分がギャンギャン泣いて帰宅したのを、40年近く経っても覚えています。
号泣して家に入ってきたわたしを、母が理由を尋ねるのですが、話を聞いた母の空気に違和感があったものも覚えていて。クラスの男の子の訃報に「変われるなら変わってあげたい」と泣いてたわたし。
それを母は、言葉少なに「そんなこと言うなんて優しい子だね」って言いながら、どこか悲しそうだった。それは堕した子のこと、言えるわけなかったからかもしれない。
わたしは以前は、無意識のうちに「尽くしてないと自分には価値がないんだ」とか(見返り)みたいな何かを、求めていて何かがいつも、怖かったみたい。
何度かカウンセリングに通って、幼少期のトラウマみたいなものが分かったんだけれど。どこかで「わたしでよかったんだろうか」って、いつも見えない不安があった、そんな感じ。
今は、そんなことないんだけれど(笑)。ママが、わたしを頼りにしてくれてるの分かる。「わたしで」よかったんじゃなく「わたしが」よかった、って安心できたというか。
そんなことを、吐き出したくなったのは今日が「天赦日」だからかな。昨日の残業から夜更かしで、今日は思ってたほど動けない。リリース状態、でも無理しない。ゆるゆるするのも、たまには…ね。わたしは生きたかったから今も、ここにいる。
ママが「また牡蠣ご飯するねー」と言って、たくさん炊いたからと、お握りにして持たせてくれて。主人が「今日のお母さん、いつもよりも何だか可愛らしかったね」と。
微笑ましい、そう思った。主人は義父も義母も看取ったから、ママにはこれからも元気でいてほしい。