淡谷のり子さん(1907.8.12-1999.9.22)の愛称は「ブルースの女王」。
1937年「別れのブルース」が大ヒット、スターダムへと登りつめました。
ブルースの情感を出すために、吹込み前の晩酒・タバコをあおり、ソプラノの音域をアルトに下げて歌いました。
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ここに至るまでは、、、
上京して東洋音楽学校在学中、家がだんだんと貧しくなったため、学校を1年間休学して、絵画の裸婦のモデルを務めるなどして生活費を稼いだ。
卒業後、クラシック歌手では生計が立たず、家を支えるために流行歌を歌った。
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そして、こんな苦労もありました。
東洋音楽学校は東京音楽学校出身の声楽家が歌う流行歌よりも低い価値で見られていた。
流行歌手になり歌ったことが堕落とみなされ、母校の卒業名簿から抹消された(後年復籍)。
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この2つの苦労は、あってはならないことだと思います! 断固反対!!
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ブルースの情感は学びだけでは得られないものでしょう。。。
(2022年10月23日 美湖)