【草薙電脳艶戯倶楽部】(629)
草薙(49)
ヒミツ・不明/その他

Rendezvous '22B

22/9/26 19:09
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台風の影響がウソのような、晴天。

人が付近にいなかったので、そっとマスクを外し、お香と緑、仏閣の匂いの混じった薫香を何度も、何度も吸い込みました。
石畳の参道を歩く足にも、目の前に広がる境内の風景にもふと、不安さえ感じるほどに現実感がありません。

実に、12年越しの悲願。
奈良・西大寺再訪。

御堂を入った左に、文殊菩薩はおられました。
初めて出会った、31年前とかわらぬたたずまい。

相対した瞬間我知らず、うつむいてしまいそして、板間の上に点々と、涙のつぶが落ちました。

心愛し、ずっと再会したいと願っていたヒトコトモノにいざ対面すると、ふと目線を落として泣いてしまう。
それは、47年間生きてきて初めての体験でした。

涙と気持ちが落ち着くのを待って、さらに近くに歩み寄り、かつてそうしたように正面から、斜め右下からそして、左下から何度も何度も、お姿をながめました。

木造の御身の中でそこだけ、硝子か輝石がはめこまれており、命が宿るかのように艶めく瞳。
左下と右下から眺めると、蛍光灯の明かりを映して、その瞳がよりいっそう、重く深く輝きます。

かつて灰谷健次郎氏が著書「兎の眼」の中で「人ではなく、兎のように静かな光をたたえて優しい」と書かれて話題になった、文殊菩薩の脇侍である善財童子像の眼。
そのまなざしに会うためにひとり、奈良に向かった16歳の春。

しかしその時、私の心により強く深く刻まれたのは善財童子のそれではなくこの、文殊菩薩のまなざしでした。

悩んだ時、迷った時。来訪するたびに心救われていた、まなざし。
その艶めきは、エロスと表現するにはあまりにも在り難く尊く、しかしやはり「艶めき」と表現したくなる湿度の高さで…

どれだけ言葉を尽くしても足りないし足し過ぎる、時を経てなお、変わらぬまなざしに射抜かれて。
この度もずいぶん、長居をしてしまったのでした。

続きます。
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